科学史

迎賓館での食事。

ソクラテスが死罪になったエピソードの詳細。

ペロポネソス戦争に敗北して以来のスパルタの圧制が終わったアテネでは、責任者誰やねん気分が蔓延していた。誰かが「ソクラテスが変な理屈をこねてアテネの青年がモヤシになったせいでアテネは戦争に負けたんだ」と言い出した。やり場のない鬱憤を、誰でもよかったのだがとりあえずソクラテスを裁判にかけることで晴らそうとしたのだ。
さて昔ギリシャの裁判は被告と原告が501人の前で議論して2回の投票で判決を決めた。一回目の議論の後「原告は無罪か有罪か?」の投票が行われる。有罪ならばさらに原告被告双方が刑罰を提案、どちらの刑罰がふさわしいかを巡って議論がなされ2回目の投票で刑罰が確定する。

ソクラテスが「怪しげな教育をしアテネの青年を堕落させた罪」で裁判にかけられたとき、一回目の弁論で彼は正々堂々と無罪を主張した。がわずかの差で有罪に。2回目の弁論でソクラテスが要求した(自分の)刑罰が「迎賓館での食事」。曰く被告にその行為にふさわしい刑罰を与えるのが正義であるならば善を成した自分には名誉が与えられるべきであると。で、原告も最初は罰金か謝罪かを要求してたんだがソクラテスのこの態度にはぶち切れて死刑を要求。で、投票の結果ソクラテスは死罪に決まった。

ギリシャの昔にはおおらかなすっきりとした善悪観があったのだなあと僕は感動したのだった。